日本の教育の歴史


・古代の学校・教育制度
3世紀ごろからそれまでの口伝えによる伝承文化に加え記述文化が生まれる。8世紀には語り部の暗証していた歴史物語である古事記が編纂され、これは日本書紀と並び日本最初の歴史書とされている。
また歴史上の人物で早い時期から教育に関心を示していたのは聖徳太子であった。書物としての教育論は残していないが、彼の記した経典の注釈書の中には彼の教育思想「一条思想」が反映されており、そこにはすべての人に等しく教育を説き、理想の実現の大切さや人間の平等観が説かれている。
・官吏養成のための大学寮が設立
文献などに正式な学校が登場するのは7世紀後半から。701年に大宝律令が制定され、その際に教育制度が定められ、官吏の養成を目的とした大学寮が都に設けられる。ここでは儒学や算術、また音道(音楽)、書道の四学科があったが、その後「紀伝道」(中国史の文章を学習する“文章道”と法律を学習する“明法道”)が加わる。このほかに典薬寮、陰陽寮、雅楽寮など専門的な技術者を養成する機関もあった。これらの機関では医学、薬学、針、按摩治療、陰陽、天文占術、暦、雅楽などの教育を行った。当時の学生のほとんどは大学の寮に寄宿し、代表的なものとしては菅原道真が設立した文章院などがある。
・有力氏族による教育機関の設立
また有力な氏族も特別な寮社を設立し、一族の師弟に対し教育を行った。例えば和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院などがあり、このような教育機関はその後の貴族政治が台頭するきっかけとなった。
平安時代後期からは官司請負制度のもとで官職の世襲化が進み、大学寮の教官も同様に氏族の世襲が慣例となっていった。そのため教官は世襲を継続させるために、受講者を大学寮ではなく自宅で指導するという家学化が進んだ。その後、1177年に起こった大火で文章院や大学寮が消失すると、そのまま放置され公的教育機関である大学寮は自然と消滅していった。